2022年9月3日土曜日

「首長政党」から「議員政党」へ

  1つの時代が終わった感じがする。1強多弱と言われる日本政治に“改革の風”を送り続けてきた「日本維新の会」。これが橋下徹、松井一郎、そして吉村洋文とスター知事、市長を党の顔とし、大阪改革の実績を売りに一定の影響力を保ってきた「首長政党」から、党首が議員というふつうの「議員政党」に変わった。20229月のことである。

この性格変容の影響は次第に大きくなると見る。世論の見方は他党とワンオブゼンに並べてみ始めた。大阪都構想の実現を狙う地域政党として発足、その創設者(オーナー)の引退、その路線を継ぐ番頭へのバトンタッチの儀式も終わった。827日の党大会でのことである。

名キャッチャーから突然監督の指名でピッチャーに、しかもエースナンバーを背負わされた交代劇。ウオーミングアップなし。どんな球を投げるのか。2週間あったはずの初の代表選。“初の”という売込みの割に熱気は感じられず、政権党をめざすと言いながら、どんな政党を、そして何をやるのか、国民へのメッセージはなかった。期待感が萎んだように思う。見えたのは、党内の内紛と意外にオーナーは独裁的な運営だったのかという素顔のみ。

 結果、有権者も是々非々の対応に変わった。そもそもこの党は、野党なのか与党なのか、一説のように「ゆ党」なのか。”是々非々”の対応というが、国民からすると指針も理念もない行き当たりばったりの対応、と映る。代表本人はそう思っていないだろうが、世間にはそう映る。無党派層の支持は移ろい易い。有権者の対応が是々非々に変わったという意味は、そのことと同義。もともと絶対的支持ではなく、相対的支持が多い。他に支持すべき魅力ある政党がないから、という消極的支持が多い。そのことを忘れ、そこを見誤っては間違う。

国民に分かりやすい、明確なを掲げられるかどうか。「大阪都構想実現!」の旗から、最近「身を切る改革!」という旗にしているが、大阪で通じでも東京を含め全国の各地に共感を呼ぶものかどうか。どこか違和感を覚える。国民の立場に立つと”身を切る”とは何?サービスカットを受け入れよ!という話にも聞こえる。もともと議員の姿勢、精神論を示したものだろうが、国民と”共有できる旗”とは思えない。

全国政党をめざす、地方議員の数を1.5倍に増やすと新代表は公言しているようだが、氏のいう全国政党は各地に議席を持つことをイメージしているのか。選挙三昧、議員勢力の拡大が全国政党の道か?本質は少し違うのでは。全国に共通する政策課題、日本の抱える問題を解けるかどうか。その能力を持つ政党、それが全国政党ではないのか。

では、そこでの旗は何か。東京一極集中と地方過疎の同時併存のこの国を、自民党はやらない方法で変える。その打ち出しはどうか。例えば廃県置州とか、3大高速網フリーパスとか、地方所得倍増構想とか、第3臨調を設置―国、出先機関、公社、公団、都道府県制度に巣くう「壮大なムダ」を大ナタを持って切る。増税なき、貴に地方の借金の減る日本づくりをめざす。こうした「日本を”維新する構想”」を打ち出す。それが旗ではないのか。

発想の原点は大阪改革の体験がベースでよい。それは大いに売り。首長政党の時のように。ただ首長が言うのと議員が言うのでは説得力が違う。当事者のイメージが議員にはないから。この先議員政党に変わっても、ただ大阪の成功体験だけを全国に押し売りするようだと”過去形の扱い”になる。支持が広がるとは思えない。なぜなら日本各地は多種多様、方言も違う。大都市東京も大阪と違う。日本の7割は過疎に悩む。過疎と戦う地方をどうする。この旗づくりには体力もいるがそれ以上に知力が要る。一言でいうと、“維新の旗はこれ!と多くの有権者の胸にストンと落ちる旗。これが欠けるのが、いま「維新」の一番大きな問題ではないのか。少数の若き志士達が「志ひとつ」で明治維新を興した。その意気込みが。

もとより旗という点、これは特定の維新という党だけでなく、自民も含めすべての党に当て嵌まる。日本の政党は選挙の時しか話題をつくれない選挙互助会党の色彩が強い。票取りゲーム、それが選挙という理解かも。そうではなく、政策をつくり、人材を磨くの政党。選挙に限らず日常、政策を巡って激しく競り合う。それが政治活動の本質ではないか。

憲法上規定がなくとも実質多くの税金を投入して政党活動を支えている日本。国民、有権者の期待はそれを託しているから税の投入を認めている。そこを間違ってはいけない。労働の対価が歳費であり関連諸費用だ。決して身分報酬ではない。「働かない国会」。もう働かない拠り所の「会期制」はやめて、”通年国会”に変えたらどうか。いつでもどこでも議論ができる国会。災害が起きたらすぐ対応。全てはオープンに“万機公論に決する”。そう変えたら政治不信ももう少しは弱まる。形式主義、前例踏襲の権現のような国会風習。ある新人議員が”ここ19世紀か”と驚いていたが、いや18世紀かも知れない。裃など捨てて前進を!

#日本維新の会 #1強多弱 #第3極政党  #働かない国会