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2022年3月6日日曜日

日本の元気「大都市に稼がせる」改革を!

  ◇不完全な大都市制度

”稼げるところに稼がせる””角を矯めて牛を殺していないか“この2つの視点からみると、北海道から九州まで拠点性を持つ20に及ぶ政令指定都市(府県の役割を併せ持つ市)が元気であるかどうか、本腰を入れて制度改革を検討した方がよい。

最近、ある政令指定都市(以下、政令市)のベテラン市長から今の政令市より特別自治市(いわゆる特別市)に変えた方が都市行政はうまく行く、大都市経営に活力が生まれる、府県と競合し無駄なエネルギーを使うことがなくなる、という話を聞いた。

日本では65年前、1956年(昭31)に「政令市」制度がスタートしている。
だが、これは戦後、法律上認められながら実現しなかった「幻の特別市」制度と引きかえに、妥協の産物として生まれた「大都市に関する特例」にすぎない。地方自治法をはじめ個別法において、人口100万人以上(現在は70万以上)の市に行政裁量によって府県の権限の一部を上乗せする特例扱いを積み重ねてきた仕組みだ。大都市の持つ潜在力を十分発揮するにふさわしい制度とは言いがたい。この指摘は多くの政令市から聞こえる。
 
制度の根幹が一般市町村と同一の制度で、自治制度上、大都市の位置づけや役割が不明確なのだ。また事務配分は特例的で一体性・総合性を欠き、府県との役割分担が不明確なため二重行政、二重政治の弊害も大きい。さらに役割分担に応じた税財政制度が存在しない、といった構造的な問題を抱えている。
 
もっとも20に及ぶ政令市は、一言に「政令市」と言っても都市の規模も能力も違う。オールジャパンの代表的なAグループ、ブロック圏を代表するBグループ、大都市圏内の中核をなすCグループ、最近合併し政令市になった県内の中核に止まるDグループに大別される。これを一律に扱うことには、無理があるかも知れない。
 
人口130万人以上の大都市になると、その経営は交通、道路、エネルギー、上下水、食糧、防災、犯罪防止、テロ対策など日常生活の安心、安全の確保や危機管理はもとより、企業活動をコントロールする経済的規制や産業政策、観光政策など、多くの課題が横たわる。大都市経営の主体となる都市自治体には、膨大で複雑な行財政需要に的確に応え、高い政策能力を発揮できる仕組みが必要だと考える。諸外国の例を見てもそうだ。
 
それには、府県行政と大都市行政の二重行政の弊害を取り除き、司令塔の一元化、大都市に対する国・県の二重監督の解消といった本格的な改革が求められる。小手先の「大都市の特例」の積み重ねというレベルではなく、明確に大都市を府県区域の権限外と位置づけ、大都市(圏)をマネージメントするための固有の行財政権限を有する、「大都市制度法」のような単独法で規定した「制度」とする必要がある。
 
 ◇新たな「特別市」創設を
 
全国の20政令市でつくる全国指定都市市長会から、都道府県から独立する形の「特別自治市」を創設すべきという提言が出ている。その急先鋒は人口375万人規模の横浜市だ。
 これは大阪都構想とは違う。大阪の場合、府域と市域が重なり合うので、大阪市を廃止し広域的な仕事と財源を大阪府に集約する構想だが、特別自治市構想は逆のアプローチで、これまで県が持っていた権限、財源をすべて政令市が担うというもの。市を強くする構想案。警察や府県税など府県の業務と財源を市に移し、府県から完全に独立した特別な市をつくるというもの。これは戦後自治法で一時認めた「特別市」を復活させる構想とも言える。
 
提唱する横浜市の試算だと、特別自治市になると、約5兆円の経済効果が期待され、1200人の行政職員の削減ができる。また市域内における県議会機能の停止と併せ区選出の市会議員による区議会の設置や区長公選などを行い、より住民自治の制度的強化が期待できるという話。これにより企業誘致政策や就業支援・雇用対策、義務教育、子育て支援など積極的に“稼げる大都市”ができる、というのだ(同市発行のパンフ要約、下図も)。
 
稼げる所に稼がせる、角を矯めず牛を生かす、とはまさにこのこと。65年も同じ制度の枠内に押し込める官治統制型の自治制度から抜け出て、欧米並みの多様性をもたせる制度に変える時だ。コロナ禍対策でも多くの農村部などを抱える府県庁より、感染者の多い政令市など都市自治体に直接、権限や財源を委ねた方がうまく行くのではないか。
もっとも、こうした大都市の市が府県と同格の市になることを懸念する向きもある。県の中にもう1つ県をつくるようなもの。大阪で問題になった「2元政治」(首長同士のせめぎ合い)がより顕在化するのではないか。大都市が府県から独立した場合、残存地域の経済的利益が損なわれる可能性もある、との指摘など。
 
ただ思うに、日本ほど規模に関わらず制度を画一化して不適合を放置している国はない。まず選択肢を増やすことが先決。懸念される点の払しょくはそれぞれ工夫する。併せて、特別市を創設するなら、135年も経つ府県制度の見直しも必至。新たな広域の州制度へ移行する方向もあろう。この先日本は人口減少国家。米カリフォルニア州1州しかない狭い国土を47に分割して統治する必要はなかろう。
 
むしろ積極的に特別市創設、都区制度見直し、政令市、中核市の機能強化を図るべきで、その空白地域を埋める広域行政は州が担う形がよいのではないか。新たな“国のかたち”の創造。そうすると日本は元気になる。
 

2022年2月1日火曜日

新「田園都市構想」~地方の救世主になれるか

 にわかに「田園都市構想」が注目を集めている。岸田首相が地方創生をめざす「デジタル田園都市構想」を打ち出したからだ。具体化に向け大規模な交付金制度も盛り込むという。もっとも未だ中身はわからないが、安倍政権以来続く地方創生策と、どう違うのか。担当部署がこれまでの内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局と内閣府地方創生推進本部だとされるだけに余計分からない。

 いま提案されている「デジタル田園都市構想」は、デジタル技術を生かして地方でも都市並みの仕事ができるよう西、所得格差などの解消を目指す。地方でもデジタル活用を促す交付金を設けるほか、高速通信網やデータセンターなどの基盤への投資を推進するとされる。こう聞くと、どうやらデジタル庁の進める仕事の地方版かなという気もしてくる。

交付金で「デジタルを活用した地域の自主的な取り組みを応援する」と強調する点を捉えると、これまでの地方創生策とあまり違わない。人や企業が地方に向かう流れを大きくする方向は同じで、それに必要なデジタル基盤の整備に力を入れる話か。これだけなら高度通信規格の5Gやスマート社会のソサエティ5.0を推進する話とそう変わらない。その辺、言葉で新しさを出すのではなく、中身で新しさを打ち出して欲しい。

もっとも、地方の衰退が続く日本の状況からして何らかの手を打つことは必要である。やり方によっては効果的な方策になるかも知れない。

元祖「田園都市構想」は大平正芳首相の掲げたものだ。田園と都市の入り組んだ風景を想起される同構想だが、それは人口10万~30万人程度の地方中核都市を中心に,周辺の都市,農村を結合して形成される地域社会を田園都市圏と定義づけ,全国で200300に達するこれら田園都市圏のネットワークを形成することにより,全国土の均衡ある発展をめざすとされた。戦後日本では、大都市郊外の鉄道沿線で,駅を中心に公共セクターや民間セクターにより大規模な宅地開発が行われ、宅地難解消に向けた過小宅地が多く、乱開発が目に余った。こうならないよう質の高い田園都市をめざすべきとアンチテーゼとして出された性格も持つ。だが、これは実現することなく乱開発は進み、郊外都市はアメーバーのように拡大。

むしろ、いま流に解釈すると、筆者は藻谷浩介氏のいう「里山資本主義」という考え方にこの田園都市構想の中身が含まれているような気がする。商社など大手資本が進出し何万羽と鶏を飼う大量生産方式、世にいうマネー資本主義の考え方と里山資本主義は対照的考え。

ただ儲けるだけでは続かない。ほどよく儲けつつ事業も社会も持続可能なものにして共存して行こうという考え方が里山資本主義。日本で成功している多くの農村を調べると、こうした実態をみてとれる。この考え方は、農水省の進める農政に一石を投じている。 

地方の農村でリンドウ栽培日本一の優れた技術を開発し、全国の顧客を大事にし、生産者の顔の見える形で手作りのリンドウ栽培を続けている方がいる。これはまさにそれを地で行くもの。新自由主義からの転換を目指す岸田政権の「成長戦略本柱」の一つが「デジタル田園都市構想だが、デジタルインフラの整備による地方振興に加え、中小規模の都市と農村が入り組みうまく共存できるような「里山田園都市」構想があってもよいのでは。

もとより、同時に東京一極集中をどう解消するかの手も打たなければうまく行かないのではないか。東京2割減反といった、大胆な集中解消策の打ち出しを同時に期待したい。

#田園都市構想 #地方創生

 

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2022年1月30日日曜日

キャッチフレーズ政治の危うさ~新しい資本主義、アベノミクス


 岸田政権の看板政策である「新しい資本主義」。何度聞いても具体像が見えない。これまでの競争原理を重視する新自由主義の下では公平な分配が行われず、格差拡大を招いた。そこでこれを変えるため「成長と分配の好循環」を通じ分厚い中間層の復活を目指すという話だが。

それはこれまでの10年近く続いたアベノミクスの3本の矢(①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③投資を呼ぶ成長戦略)による経済政策と大きく違うのだろうか。確かにアベノミクスはデフレから脱却し、比較的富裕層や大手企業、就職問題を抱える若者世代には好評な面はあった。

しかし一方で、成長戦略はかけ声ばかりと地方都市や中小企業には不評だった。事実、成長の果実が全国に行き渡り、賃金が上がるトリクルダウンが起こる、とはならなかった。むしろ国民の実質賃金は年々下がった。岸田政権の経済政策はこの下線を引いた部分を修正しようと賃上げに協力する企業の減税など優遇策を講ずるという話だが、それってアベノミクスの修正版ではないのか。

もう1つ。アベノミクスは今でもこの「3本の矢」のイメージが強く、そればかりが語られるが、実はアベノミクスは第1次、第2次に分かれている。その後半の「新3本の矢」(①GDP600兆円、②出生率1.8、③介護離職者10万人をゼロ)という話は、残念ながら評価に値する成果はなかった。

だが今、国民の求める解決課題の大きなポイントはここにもある。自民党政権のトップの交代に伴う「売り」の違いは認めるが、政策の継続性という点も忘れては困る。キャッチフレーズだけが先行し、中身が伴わない政治は終わりにすべきだ。どっしりと腰を据えて日本再生に取り組むべきだ。それには大胆な規制緩和と構造改革が不可欠ではないか。

 


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