2022年1月30日日曜日

キャッチフレーズ政治の危うさ~新しい資本主義、アベノミクス


 岸田政権の看板政策である「新しい資本主義」。何度聞いても具体像が見えない。これまでの競争原理を重視する新自由主義の下では公平な分配が行われず、格差拡大を招いた。そこでこれを変えるため「成長と分配の好循環」を通じ分厚い中間層の復活を目指すという話だが。

それはこれまでの10年近く続いたアベノミクスの3本の矢(①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③投資を呼ぶ成長戦略)による経済政策と大きく違うのだろうか。確かにアベノミクスはデフレから脱却し、比較的富裕層や大手企業、就職問題を抱える若者世代には好評な面はあった。

しかし一方で、成長戦略はかけ声ばかりと地方都市や中小企業には不評だった。事実、成長の果実が全国に行き渡り、賃金が上がるトリクルダウンが起こる、とはならなかった。むしろ国民の実質賃金は年々下がった。岸田政権の経済政策はこの下線を引いた部分を修正しようと賃上げに協力する企業の減税など優遇策を講ずるという話だが、それってアベノミクスの修正版ではないのか。

もう1つ。アベノミクスは今でもこの「3本の矢」のイメージが強く、そればかりが語られるが、実はアベノミクスは第1次、第2次に分かれている。その後半の「新3本の矢」(①GDP600兆円、②出生率1.8、③介護離職者10万人をゼロ)という話は、残念ながら評価に値する成果はなかった。

だが今、国民の求める解決課題の大きなポイントはここにもある。自民党政権のトップの交代に伴う「売り」の違いは認めるが、政策の継続性という点も忘れては困る。キャッチフレーズだけが先行し、中身が伴わない政治は終わりにすべきだ。どっしりと腰を据えて日本再生に取り組むべきだ。それには大胆な規制緩和と構造改革が不可欠ではないか。

 


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2022年1月28日金曜日

論争すべし「東京リスク」は是か非か

総務省が28日公表した住基台帳に基づく2021年の人口移動報告で、東京23区の転出者が転入者を初めて上回る「転出超過」になったという(14年以降)。コロナ禍で東京への集中は緩和の傾向だが、これが大きな転換点となるかどうか。

東京23区からの転出先を見ると、従前は23区近郊の多摩地域や隣接県の近場が多かったが、今回は神奈川の茅ケ崎や藤沢市、埼玉の上尾市、茨城県つくば市など少し遠い地域への移動が多かったという。大きくは東京圏の中での移動なので東京一極集中が緩和したなどとは言えまい。これが大きなトレンドとして広域分散になるなら話は別だが。

もっとも東京集中を困った事象とみるか、いや望ましいとみるか見方は分かれがち。  

望ましいとする見方によれば、これまでいろいろ策を講じてきたが「ヒト・モノ・カネ、情報」の一極集中には逆らえない。”集中が集中を呼ぶ“動きは自然だ。むしろ一極集中のメリットは大きく「日本を救う」動きだと捉える。「東京機関車」がこれだ。 

他方、望ましくないとの見方は、一極集中がこの国のかたちを歪め「諸悪の根源」。ヒト、モノ、カネ、情報をみな東京が吸い上げ、残された地方は活力を失い過疎化が深刻で、地方消滅の危機にある。もっとも都民だって豊かさの実感を持たない人も多い。生活コストは高く、非正規労働も多い。定年で職を失った人々の老後の不安は強い。子育て環境も悪い。出生率1.2以下、ワーストワンが続くのは日本の人口減少の大きな要因でもある。

皆さんはこの両論のいずれに与しますか。どちらかというと、地方に住む人々は一極集中否定論者が多く、東京で働く人々は一極集中肯定論者が多いようにも見える。ただ事実として、この国は2つの国に分断されてしまった。一極集中、過密の弊害の「東京国」と人口減、過疎の弊害の「地方国」。どうして米カリフォルニア1州ほどの狭い日本をこのような使い方をするのか。これが20世紀から21世紀の持ち越された日本の解けない課題だ。

もとより、日本は昔から東京一極集中だった訳ではない。明治の中頃でも東京の人口は150万人ほどで全国9番目、農業の盛んな新潟が1番だった。だがその後、近代化の進むスピードに合わせるかのように東京の人口は倍々ゲームのように大爆発し現在の1400万人に膨れた。

これがノーマルな姿とは思えない。1つ問題を提起します。これから前例のない「老いる東京」問題が浮上するということ。ヒトが老い、インフラが老いる。東京は豊かだ!繁栄だ!機関車だ!と光を礼賛しているうちに、内側から影が膨らみ、日本最大のリスクを負う状況になってくる。東京に頼り政策的に放置してきた結果、そのツケが一気に噴き出す。

私達は、大都市が老いるという経験を歴史上持たない。例えば今後、老いる東京の問題解決にこれまで全て地方に配ってきた地方交付税(17兆円)の3分の1でも東京に投入せざるを得なくなったらどうなるか。東京も地方も共倒れになってしまう。その点、この国は大きなターニングポイントにあり、大きな政策転換が求められています!

#東京一極集中,#地方分散;#都民のくらし

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2022年1月27日木曜日

省庁改革は”課“レベルまで掘り込め!

 デジタル庁、「こども家庭庁」と新たな庁の新設が続く動き。保育所は厚労省、幼稚園は文科省と分かれているので、これを新庁にまとめれば、縦割り行政の弊害はなくなるという。まことしやかに語られるが、これってホントか。

「増やす」より「減らす」のが改革の方向と思うが、仮に「統合」するのも1つの方向と認めるとして、外から見た統合だけでは問題は解決するだろうか。

20年前、22省庁を1府12省に再編した。いわゆる“橋本改革”がこれ。郵政省・自治省・総務庁を「総務省」、文部省・科学技術庁を「文部科学省」、厚生省・労働省を「厚生労働省」、運輸省・建設省・北海道開発庁・国土庁は「国土交通省」に統合。経済企画庁・沖縄開発庁は内閣府へ、環境庁は環境省に、大蔵省は財務省、通産省は経済産業省と名称を変え、今に至っている。

またぞろ始まったのが庁の新設。縦割り行政の弊害を無くするという謳い文句だ。確かに橋本行革で省庁は減り大臣数も減った。だから、この改革は成功だったと評価する見方も少なくない。特に政治家はそれを改革の成果として誇示しがちだ。

だが、重要なのは仕事の中身ではないか。建設省と運輸省が統合され国交省になっているが、もし建設省の局と運輸省の局がそのまま国交省に移っただけなら、外観はともかく「看板の掛け替え」に過ぎないと言われよう。実際、外から見るほどに中身は変わっていない。役人の人事も旧省出身ごとに別々に動いている。

省庁官僚制の中は省→局→課の3層構造。行革は省や局レベルだけ見ては不十分。実際は「法解釈の権限を持つ原課」とされる「課」が大事。そこが変わったかどうかだ。

企画立案、法案作成、他との調整、そして与党議員との交渉などは課が中心。民間や自治体などに対する許認可、補助金など助成、行政指導も課が中心。その意味で中央省庁の政策・方針は実質上「課」が権力の基盤とみてよい。

仮に複数の省庁が一緒になったとして、統合前のⅩ省A課とY省B課がそのまま新たなZ省に横滑りしただけなら何も変わらない。2つの課が統合され新たにC課ができたかどうか。再編前の「省庁の壁」を越える課が生まれたかどうか。省庁再編の効果をみるポイントはここだ。橋本改革で中央省庁の約1000ある課で新たに生まれた課は2つのみ。

岸田政権が子ども家庭庁を売りにするなら、課のレベルまで掘り込んで改革すべきだ。首相が哲学をもって改革に挑まなければ、同じ轍を踏むことになる。

#縦割り行政,#省庁再編,#日本官僚制

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