兵庫県知事についで今度は静岡県の伊東市長か。自治体首長の不祥事が後を絶たない。自らの学歴詐称で市長が市政を混乱させている伊東市だが、9月1日、市議会が満場一致で田久保市長の解任を決めた。5月の市長選で当選して3ヶ月余の話。国政も地方政治も政治の劣化が止まらない。迷惑するのは国民、有権者である。
伊東市の市長解任のこの先について、マスコミは市長辞職か議会解散かと興味津々に煽っている。例えば、議会を解散し、市長派を8人以上当選させれば、新議会で3分の2以上出席、過半数で再不信任議決は行っても8人が否決に回れば市長解任は阻止できるとか。市長派を8人当選させれば、新議会で再不信任議決をしようと思っても8人が欠席すれば、3分の2以上出席の要件を満たせないので、市長解任は阻止できるといった、何か選挙をゲームに見立ててメディアでコメントする、もっともらしい(エセ)コメンテイターまで現れる始末だ。
確かに地方自治法上は不信任議決から10日以内に二者択一を迫る制度の仕組みはあるが、それは政策とか改革の進め方について市長の判断と議会の判断が食い違い、対立した場合の混乱を避けるために使うためのもの。市民有権者が第3者の立場から主権者として何れを市政として選択すべきか、政策や改革の正当性を付与する機会となる。それがこの二者択一制度の趣旨だ。首長、議会のいずれかが強くならないよう、権力の均衡もそこで図られている。
だが今回の伊東市の田久保市長の事案。混乱の原因は全て属人的な問題、市長の学歴詐称疑惑にある。ゆえに、どうみてもこの件で市長が議会を解散する根拠は見当たらない。そこを氏は説明できるのか。問われているのは高卒を大卒のように学歴を偽って選挙に出て、当選後それがバレてしまった。入学はした、しかし卒業はしていない、どの段階かで除籍処分されている。中退届を出した訳でもない。最終学歴は高卒のままだ。これを当選後、市の広報にまで「東洋大学法学部卒業」と公然と書かせている。どうみても詐欺師っぽい。こうした学歴詐称が公然となったにもかかわらず、市長職にありながら自身のことにまっとうな説明もできず詭弁を弄し、市政、市民生活を混乱させ続けた。その執行機関(長)自身のあり方が問われての不信任議決である。
制度上あるからと、もし議会を解散する妄想にかられるなら、それは権力乱用と言わざるを得ない。なぜなら議会に非はないからである。何千万円もの市民の納めた血税を自らの野望の為に無駄に空費する話とならないか。その愚は避けるべきである。
今や市政を執行する地位に止まる政治的正当性が失われてしまったリーダーが、もしその地位を再び得て市政を担当したいということなら、再選挙に出て当選する道しかなかろう。選択は辞職。自ら議会の決定を受け容れ辞職した者が、それが欠けたポストを補充するために行う市長選挙に再び立候補するというのは自己矛盾の誹りを免れないが、禁じてはいない。
ここ3ヶ月、全国的に有名になった田久保氏は、世の中の誰にでも分かるよう経緯と疑惑について説明し、公人として掛けられている疑念、不信、不満を払拭する説明責任(アカウンタビリティ)を果たす義務がある。そうした上で、この先どうするか堂々と会見を開き明らかにすべきではないか。撤回したが辞任すると言って開いた公式の会見にまで、コソコソ友人なのか弁護士なのか市政に無関係の人物を公務の場に伴い、自分の言葉ではない詭弁を弄し、逃げまわる首長。これまで見たことのない自治体の長の姿だ。日本の地方自治の恥ではないのか。有権者の水準は確実に高まっている。選挙は有権者と代表の契約機会だ。代表と商品に偽装や偽りがあってよい筈はない。それは社会常識ではないか。そこを見誤ってはならない!
(写真:産経新聞)
