2024年9月26日木曜日

争点なき「出直し選」~どうみる

 

争点なき「出直し選」~どうみる

佐々木信夫

  斎藤元彦兵庫県知事が930日で失職。兵庫県では新たな知事選が1110日に行われる模様だ。斎藤氏の在職中の公益通報の違法な扱い、威圧的なワンマン、パワハラ、物貰い行為など、自治体のトップにふさわしくない、経営者の資質に欠けるとした919日の県議会一致の不信任可決を受けての新たな事態である。

不信任後10日以内に辞職か解散を判断すべきという地方自治法の規定に従わず、2002年に田中康夫長野県知事が採った「自動失職後、出直し選に出馬する」との前例を念頭に926日、30日付で自動失職した上で知事選に再度立候補する考えを表明した。「県立大の授業料無償化など若者の支援に取り組んできた」「これからも改革を進め」「新たな兵庫県をつくっていく歩みを続けたい」との理由からだ。

仮にこの動きを是とみるとして、では次期知事選の争点は何か。いま見えてくるのは「斎藤県政を続けるかどうか」ぐらいしかない。かつての他県例のように政策問題や改革問題で知事と議会が対立し、県民に判断を求めた争点とは質的に異なる。異例の「知事(経営者)の資質を問う」のが争点だ。

都道府県議会から知事が不信任議決を受けた事例は今回で5例目。失職を選び、出直し選に出馬するのはこれまで長野県の田中康夫知事(02年)、徳島県の大田正知事(03年)の2例のみ。長野の例は「脱ダム宣言」などで対立した田中康夫知事(当時)に県議会が不信任案を可決。田中氏は自らの脱ダム宣言は間違っていないと失職を選び、知事選に再出馬し当選している。不信任を受けた後も知事を続けられたのは田中氏のみだが、その田中氏も4年後、県政の混乱は避けられず、3選できずに長野県政を去っている。

さて、兵庫の斎藤知事の判断をどうみるかだ。今回、公益通報への知事の対応に問題があったことは明白ではないか。議会が突きつけた不信任決議の意味を無視して出直し選に出馬する判断は間違っていると診る。知事は会見で辞職や解散は当初から考えていなかった、辞職しないのは自らに非はないとの理由を挙げた。議会の不信任議決についても、一連の問題を巡り「知事が職を辞すべきことなのか」と述べ、納得できないとした。では919日の不信任議決後、なぜそう述べなかったのか。

  議会の不信任は、知事の資質そのものを全会一致で不適格と判断したものだ。議員の総意をあまりにも軽んじていないだろうか。そして失職後に再出馬するという説明は、さらに理解しがたい。不信任を受け、出直し選に挑んだ知事は先に述べた通り、過去に2人いるが、長野の田中氏も徳島の大田氏も政治理念や政策で議会と対立し、改めてそれらの是非を問うための出馬だった。兵庫の斎藤氏の場合何を問う。

  公益通報の対応を巡る知事の資質そのものが問われているのは事実だ。これまでの他県例と全く様相が違う。不信任に至った要因は、県幹部だった男性の内部告発を知事が公益通報として扱わず、側近職員による尋問まがいの調査で男性を懲戒処分した点にある。男性は7月に死亡。自死とみられている。県議会の百条委員会の証人喚問などをみる限り、知事や県の公益通報を巡る対応は、通報者への不利益な取り扱いや、通報者の特定を禁止した公益通報者保護法の趣旨に違反していたことが明らかとなっている。威圧的なこのやり方に明確な説明責任を果たしていない。

  法律で認められているからといって、自分の誤りを認めず、県民のお墨付きを得て続投しようという判断は筋違いではないか。率直に議会の意思を受け止めるべきではなかったか。出馬の理由を「さらに改革を進めるため」と説明しているが、仮に当選して新たに4年の任期を得たとしても、議会との信頼関係が失われている現状では、自分の考えるような改革を進めるのは難しいのでは。長野の先例もそうだった。

百条委や県の第三者調査委員会による調査は、いずれも年度内には終わる予定と言うが、結論が出た段階で知事の重い責任が改めて問われる事態が想定される。再不信任議決はないのか。これ以上、県民不在の政治を続けてはならない。兵庫県民は、時代のページを新たに開くべきである。18億円の選挙費用、1110日までの政治空白を経てもなお「得るものがある」、そうなる知事選になるよう期待したい。

 斎藤知事、期待できない」兵庫県民冷ややかな視線 出直し選へ | 毎日新聞

 

2024年9月7日土曜日

問われているのはトップの品格

 

問われているのはトップの品格

佐々木信夫

 いま兵庫県で起きている県知事のワンマン、パワハラ、物乞い行為は、トップの行為として日本の地方自治の歴史の中でもめずらしい。いまの時代でもこうしたことがあるかと驚く。戦前の内務省から天下って来た特権官僚、官選知事の時代かと錯覚させられる。

少し原理原則に沿って、この行為などをどう診たらよいか、解説しておきたい。

兵庫知事、カニなど贈答品の受け取り認め「社交儀礼として対応」 | 毎日新聞

戦後は民選知事に対し、住民自治の視点から議事機関として公選議会を置き、議会に執行権限を一手に握る知事を監視・統制する役割を持たせている。戦前の県会、市会といった首長の諮問機関的なものではなく、条例、予算、重要な契約など自治体の基幹的な意思決定は議会に委ねている。首長はあくまでもそれを受けての執行機関との位置づけだ。

日本の自治制度は二元代表制という。憲法第93条の規定に従い、自治体の代表機関は長と議会であり、両者はそれぞれ別に住民の直接選挙によって選出される仕組み。

長と議会は、代表機関としては対等な関係にありながら、相手の「代表性」の特徴を認め合い、それを生かし、あたかも車の両輪のように、自治体の意思決定を行っていく共同責任を負っている。住民自治の観点から、この長と議会の議員を直接公選する仕組みを二元代表制と呼んでいるのである。 

長と議員を選挙で選ぶのは、その公職の性質に由来している。首長や議員という公職は、自治体全体の意思を決定できる権力の座にあるからだ。議会は議決機関、首長は執行機関という役割の違いはあるが、ともに住民の代表者として自治体の意思を公式に確定する権限をもっている。それは、住民に各種のサービスを提供したり、住民の行動の自由を一定の制約を加えたりする施策を決定できる強い権限を有することを意味する。

 国の採用する議会のメンバーから執行機関(内閣)をつくり出す議院内閣制(一元代表制)と違い、自治体の二元代表制では、首長は住民から直接公選で選ばれ、議会から指名されるわけでもなければ議会のメンバーがなる訳でもない。議会は首長に対して民意の代表機関として競い合う関係にあり、議会の与党とか野党という存在は期待されていない。 

多くの職員で構成される補助機関を部下に持つ首長に対し、議会は全体として、監視や批判、修正といった機能を果たす、広い意味の野党的な役割を期待されているといった方が正確かも知れない。

その議会の監視、統制の手段として、地方自治法100条には国政調査権に類似した証人喚問などの可能な強い調査権を有する百条委員会の設置を規定している。首長に対する不信任議決権も統制手段の1つ。議会の首長に対する不信任は、議会が議員数の3分の2以上の者が出席する会議で、その4分の3以上の特別多数による議決で成立する。不信任議決がなされた時は、首長は辞職する選択もあるが、逆に首長は議会を解散し、議会の不信任議決の当否につき住民の審判を仰ぐこともできる。ただ判断の期限があって、議会から不信任決議の通知を受けた日から10日以内に議会を解散しないときは、首長はその職を失うことになる。

 議会が解散された場合でも、議会選挙が行われ、その解散後初めて召集された新議会で再び不信任を議決された時は、首長はその職を失う。この場合の不信任の議決は、議員数の3分の2以上の者が出席し、その過半数の同意があれば成立する(178条)。これは二元的な代表制における機関対立を住民の判断に委ねた制度と理解されている。アメリカの大統領制(二元代表制)には見られない、むしろその欠陥である大統領と連邦議会の対立を仲裁する制度のない仕組みを、日本の自治制度はむしろ補う優れた仕組みになっている。

兵庫県に事案に戻るが、議会の不信任決議により、知事が失職すれば知事選挙が、他方、議会が解散されるなら議員選挙があり、いずれ選挙により再び民意を問うこととなる。不信任は二元代表制における首長と議会の対立を住民の判断に委ねる制度といえる。

 これまで報じられてきたような兵庫県知事・斎藤元彦氏のふるまいや資質が問題視された経緯から、解散に打って出る根拠があるかどうか。他県でみられたように政策的な問題、改革をめぐる問題で議会と知事が対立したケースとは全く質が異なる。制度上認められているから、不信任が可決された場合、斎藤氏は解散に打って出るかもしれない。が、その場合、知事の支持勢力を勝たせるか対立候補を勝たせるか、県民は何を判断基準にするだろうか。

今回のような事案、「知事の品格」が争点となっても、パワハラなどの疑惑を上回る政策的な実績があるなら続投支持もあり得るだろうが、しかし、全国レベルで報道が続いたこともあり、斎藤氏のトップ(知事)イメージは著しく低下しており、現実的には難しいだろう。議会の不信任を受け入れ、「辞任」を選択した方が県政刷新に貢献すると思われる。不信任案可決が確定的になった段階で自ら辞職したケースも過去にある。舛添要一東京都知事がそれ。平成28年、舛添氏に対する不信任案が都議会の最大会派自民などが提出。可決される見通しだったが、舛添氏は採決直前に辞職している。

兵庫県の知事・斎藤元彦氏もそうした選択もあるのではないか。「地位に恋々としている」そうした姿はどう見ても見苦しい。知事の品格を保つために自己ファースト、自分を守るより、県政全体、県民を守る決断を望みたいものである。

2023年11月4日土曜日

これでよいか首長選に関するネット選挙規制

                                     ◆ダメダメ規制の公選法でよいか

日本の公職選挙法(略称公選法)は選挙に関し国政、地方選を一派ひとからげに規定している。国政と地方政治は政治システムが全く違うのに。国政は一元代表制で国民は議員だけ選び、その中から多数派(与党)が執行機関の役割を担う首相、閣僚を選ぶ仕組みだが、地方政治は二元代表制で執行機関の長と議会議員は別々に選挙し、双方は抑制均衡関係にあることが望ましいとされる。地方議会に与野党の関係はなく、むしろ首長と是々非々の関係を保つことが求められる。

これをひとまとめに「選挙」という行為だけを捉え一律に規定しているのが公選法だが、適切な当選者を選抜する仕組みになっているかどうか。とくに地方自治、「住民の・住民による・住民のための政治」を行う民主主義のベースをなす営みに関し、住民が候補者を十分知り得る機会を保障した仕組みにあるかどうか。ちなみにこの春の統一地方選での280市議選の投票率は44.26%、250町村議選は55.49%といずれも過去最低を記録、63市長選も平均投票率47.73%と5割を割り込んだ。無競争当選が3割を超え、なり手不足も深刻で日本の民主主義は草の根から枯れ始めている。

◆有権者が候補者をよく知る必要がある

なぜこうなっているか。候補者の人なり政策なりを知り得る機会が少なく、有権者の選挙への関心がどんどん薄れていく状況と戸別訪問ダメ、挨拶の有料広告もダメ、署名活動もダメなど選挙について「あれもダメ」「これもダメ」の規制だらけの公選法がこの事態と大きく関わっていないだろうか。問題にしたいのはとりわけ首長選のあり方だ。自治体の執行機関である長の権限は強く、予算編成から条例提案、決算まで自治体経営の骨格をなす基本事項は長に作成・提出権を独占させており、議会はそれを受け身の形で集団審議するのが実態となっている。市民から見ても自治体の代表は独任制の首長にあるとの認識が強く、数名で争う首長選に特に注目が集まる。しかし、政策を知るにも人を知るにもポスターと選挙公報など活字媒体の配布物を見る以外、首長候補者をよく知る手立てがないのが実態である。

 

 DX時代を標榜する動きの中で、情報ネットを通じて政策論争が交わされ、候補者が自己主張を有権者に直接届ける手立てを保障することはできないのだろうか。そこで起きた1つの事象。4月の東京都江東区長選で、選挙期間中に投票を呼び掛けるインターネットの有料広告を掲載したことが公選法違反とされ、当選した江東区長木村弥生氏(58)は半年で辞意を表明する事態が起きている。「区政の混乱、停滞をさせた」とし、11月半ばで辞職し、12月初めに再び区長選が行われる様相だ。この方法を教唆したとされるある衆院議員も批判の対象になり、マスコミも「けしからん!」の集中砲火を浴びせる様相にある。確かに現行ルールからすると許される行為ではない。法律違反をしたら一定の処罰を受けるのは当然の裁きだが、果たしてそのルールが首長選にも相応しく時代の動きに合っているかどうかだ。

地方自治は団体自治と住民自治が車の両輪とされる(図)。公選される首長、議員はこの2つの自治を足場に活動する仕組みで、執行機関たる長は自治体の条例、予算、主要な契約、決算などの案を作成し、議会の承認を得て執行する立場にある。

 

首長と議員が自治体としての意思を公式に決定できる権限をもつのは、選挙を通じて民意の審判を受け、代表者であるとみなされるからだ。もともと違う人間が別の人間の意見や利害を代わって表現する首長と議会が自治体としての意思を公式に決定できる権限をもつのは、選挙を通じて民意の審判を受け、代表者であるとみなされるからで、この擬制を現実に可能にしているのが投票箱だ。地域社会の諸問題に関して知識や判断力では不揃いな有権者が投ずる1票が、あの何の変哲もない箱を通過すると、神聖な1票に変わるのである。いわば投票箱は「民の声」を「天の声」に変えるマジック・ボックスと言える。この「投票行動」がより民意を幅広く拾い、適切な結果を生み出すようにサポートする仕組みが選挙に関わる様々な規定(ルール)と言えよう。

◆時代遅れのネット規制は見直すべき

話を江東区長選の例に戻そう。関係者によると、当選した木村氏の陣営は選挙期間(41622日)のうち5日間、動画投稿サイト「ユーチューブ」に「木村やよいに投票してください」などと呼び掛ける有料動画広告を掲載した。その動画の再生回数は約38万回でそれに対し掲載費用約14万円を候補者個人のクレジットカードで支払ったとされる。現在、公選法は政党や政治団体以外、本人や後援団体(特定の候補者を推薦し支持する団体)が時候、慶弔、激励、挨拶などを目的とする広告を有料で新聞、雑誌、インターネット等に掲載したり、テレビで放送したり新聞、雑誌に掲載してはならない、と規定している。確かに今回の木村事案は候補者本人が「私に投票して下さい」と呼び掛けているだけに、公選法規程に抵触する。このことは議論の余地はなさそうで、有料ネット広告違反として2年以下の禁錮か50万円以下の罰金に処されるものと見られる。

ただ、有権者からみて割り切れる話かどうか。「4月に選挙やったばっかりなのに再選挙か。それにかかる費用をすべて税金で賄うのは納得できない」「公選法違反で辞職した場合の再選挙は辞職した人に選挙にかかる費用を全額負担させるようにすべきだ」といった強い不満の声もある。ちなみに4月の江東区の選挙は区議選、区長選が一緒に行われており、22000万円の費用が掛かったとされる。仮にこの先、区長選だけの選挙を行うにしても投票所の数は同じだから、投票用紙を渡す選挙事務従事者は減るが人件費も含め億単位の費用が掛かるのは確実。この動きに区民が苦情を呈するのは当然と言える。

問題は、首長を選ぶ選挙にYouTubeを活用するなどDX時代にふさわしい方法をとることがノーなのかどうかだ。江東区は人口約50万人、有権者数417千人の大規模自治体だ。そこで首長候補は1週間でどれだけ人なり政策なり主張なりを知ってもらえるかどうか。その方法にSNSの活用を認めることの制限がどこまで必要かどうかだ。地方自治は政党政治を前提としてはいない。実際、首長の立候補者も無所属を名乗る者が多い。それに対し、現在の公選法はあかたも政党政治が前提であるかのように政党及び政治団体以外、有料広告は出せないとしている。組織を持つ政党か支援する政治団体の強力なバックがない者以外は当選可能性がない仕組みのようにも見える。

果たしてそうした政党など組織所属の者に首長適任者がいるかどうか。むしろ候補者の裾野を広げ幅広く適任者を求めるには、金額や方法の常識的な制限は課すにしても、いまのダメダメ規制、手足を縛っているような規制は大幅に緩和し見直すべきではないだろうか。時代遅れの規制を金科玉条のように振り回せば振りまわすほど、なり手は限られ、地方自治は萎えていく可能性が強い。これを機に基本に立ち返って地方自治にふさわしい選挙規制、知事、市区町村長という自治体の執行機関を選ぶにふさわしいネット規制のあり方について議論を深めるべきではないだろうか。