2022年4月9日土曜日

参議院選で問われるのは“参議院の価値”そのもの

               ◇参議院の役割って何?

内政上、コロナ禍対策に手を焼いている間に、ウクライナへのロシア軍侵略が始まり都市破壊、民間人大量殺害と外交上、新たな問題が急浮上。国際法を無視して始まった侵略は深刻な人道危機に発展し、戦後世界が尊重してきた普遍的価値への挑戦となっている。

こうした中、政治の世界は参議院選に向け走り出している。各党は相次いで公認候補を発表している。ただ、各党が参議院で何議席を占めるかに関心が集まりがちだが、そもそも参議院の役割って何なのか、基本的な問題がどこかに消えがちである。予算に限らず他の案件でも参院は衆院のカーボンコピー視されがちで、両院とも与党が多数を占めている場合は余計そうである。

もう少し2院制を生かした充実した審議のできる国会に変えられないか。

まず、衆参両院の役割分担を見直したらどうか。例えば、政権選択は衆院で行い、参院は「再考の府」「良識の府」として異なる観点から審議する。衆院は予算案や法案の中身、参院は決算や行政監視に重点を置くような運営が考えられる。

予算は政策を凝縮したものだが、政策のPDCAサイクルからいえば、P(形成)は衆院中心、C(チェック)とA(見直し)は参院中心といった分担はどうか。既に日本は右肩上がり社会は終焉しており、これからの右肩下がり社会は「あれもやります、これもやります」式の政治は通じない。「あれをやめます、これを見直します」式の政治への切り替えも必要となってくる。CとAの場面が重要度を増してくるとみてよい。

もう1つ、“地方のことは地方で決める”地方主権型の国づくりをめざす日本だが、国会でそのことを議論する場は殆どない。安倍政権以降、再集権化の色彩が強まり、行政社会主義国家ともいわれる様相にある。何でも国が決め地方に執行を迫る中央集権的な構図がそれだ。もっと分権化を進めて身近な地方の政府が意思決定できる仕組みに変える必要がある。

2000年以降、そうした視点で改革を始めたが、いま停滞している。「地方分権」は、行政権を国から地方に移すことと考えがちだが、それ以上に地方自治権の拡充にとって大事なのは立法権の移譲だ。この立法権の移譲は政策、制度の企画立案権の移譲と言ってよい。この企画立案権を国から地方に移すにはどうすべきか、分権改革の基本的な課題はここだ。

それには中央集権的な法令がこれ以上増えることを抑制し、地方自治を不当に制約している既存の法令等の改正を進めることが不可欠だ。これをより確実に実現していくためには、国の立法過程に地方の意見を有効に投入できる恒常的な仕組みをつくる必要がある。「参議院を地方代表の砦」にできないか。

日本の行政活動の3分の2は地方が担っている。これから参議院の独自性は「地方の国政参加の場」、それを明確にするのが1つの改革方向ではないか。

それには、単に既成政党が議席の数を競うだけでは、現状を変えることはむずかしい。政治を担う政党のあり方を問う必要がある。昨年1031日の衆院選では改選前と比較し、与党の自民276は15減、公明29は3増、野党の立民109は13減、共産12は2減、維新11は30増、国民8は3増、その他16(欠員4)は2減となり、与野党の議席差は12縮まった。小選挙区で立憲・国民・共産による野党候補一本化が図られたが、議席増にはつながず(12議席減)。自民、立憲減の受け皿として「維新」の議席が4倍に増えている。この余勢を買って維新は参議院の現議席の倍増を狙う動きだが、果たして有権者はそれを了とするかどうか。

日本の政党の立ち位置を4事象で分析すると何が足りないかが判る。改革か保守かの縦軸と、供給者目線か消費者目線かの横軸をクロスさせると、供給者目線で守旧派の自民とは違う、消費者目線で改革派の保守政党が成立する可能性は大きい。

 
少数議席に止まる日本維新を除くと、このゾーンがスポッと空いている

。いわゆる「第3極」党誕生への期待が都市有権者を中心に強い。

もとより現在、かつての民主党のような大野党は存在しないし、それを束ねる有力な政治リーダーも見受けられない。だが有権者の意思を汲み取り、改革・消費者目線の新党が誕生し既成野党との連合で一気に政権交代へとつながる可能性も完全には否定できない。長期安倍政権から菅政権そして岸田政権と10年近い自民政治の「惰性的な政策運用」に国民の期待はそう高くはない。

 ◇参議院選で問われるもの

政策問題はどうか。確かにデジタル、グリーン、脱炭素、そしてウクライナ問題への対応など世界の潮流に乗り遅れまいと必死な点は分かるが、肝心の足元、内政はどうかだ。過密の「東京国」と過疎の「地方国」に分断され、いずれも出口の見えない状況にある。

そこで問われるのは第1に巨大な東京をどうするかだ。国民の1割余が暮らす「東京国」は得体の知れないコロナ禍で「3蜜」が問題視され、この先は超高齢社会へ突き進む。ヒトが老いインフラが老いる。早晩7割の確率で直下地震も起きるという。豪雨など激甚化する災害対策は急務だ。変異する感染症対策、医療体制の整備、子育て環境整備、大きく傷んだ中小零細企業、日本経済の立て直しは待ったなし。問題は単に借金漬けで逃げ切るのではなく、改革をしてカネをどう生み出すか。

第2は「地方国」を救う意味で「東京一極集中」の解消へ手を打つことだ。新型コロナの影響もありテレワークが普及し在宅勤務が増え、東京から人口流出の兆しもある。だが大きく東京一極集中の流れは変わっていない。住居、通勤、職場、飲食など3蜜が感染症蔓延の要因もハッキリした。これまでは直下地震など自然災害に対する過密を問題にしてきたが、これからコロナの変質、感染症蔓延は大きな脅威となる。

これまで国政は東京を“日本の機関車”とし、東京の巨大化へアクセルを踏んできたが、もうブレーキを踏む時がきている。量より質を高める政策へシフトする時代だ。実際、東京の労働生産性は全国平均を下回る。過密の弊害が極点に達している。

第3に、与野党問わず、カネに糸目をつけず、様々な手当てなど直接給付をこぞって約束したことだ。バラマキ政治に堕した点を変えられるかどうか。確かにコロナ禍で大きく生活が傷んでいるのは事実。それを助けるのは当然としても、困っていない人にまで現金を配り減税までする必要はあるか。救済策に現金の直接給付という行政手法がどこまで有効か。

大衆に媚びる「サービスは大きく・負担は小さく」の典型的なポピュリズム政治ではないか。"財源なきサービス合戦"、果たしてこの公約は実現できるのか。結末は空手形ではないのか。票欲しさの"口先政治"、その顛末は「ない袖は振れない」とばかり次々と約束を反故にしてしまう。勝てば官軍なのか。政治の信用が失墜し奈落の底に落ちて行くのではないのか。国民は既に見抜いている、そこを見誤るとしっぺ返しを食う。

そして第4に、1300兆円を超える他国に類例を見ない借金大国・日本にあって、その財政再建の道筋ひとつ語られなかったことだ。「サービスは大きく」の大合唱だが、その裏付となる財源はどうなる。買い物かごに欲しいだけモノを詰め込んだが、レジに行ったら払うカネがない。矢野康治財務次官が「国庫は無尽蔵ではない」「コロナ対策は大事だが人気取りのバラマキが続けばこの国は沈む」と破綻を警告したが無視するのか(文藝春秋11月号)。現実に財政破綻にならないという保証はあるか。タイタニック号に乗る国民の眼前に突然大氷山が現れたらどうなるそんなパニック事象が思い描かれる様相だが、そうならないか。

第5により基本的な問題だが、20世紀の「右肩上がり社会」、人口も所得も税収も組織も拡大する社会は既に終焉し、これから「右肩下がり社会」に向かう。これに対する「新たな国づくり」の設計、骨太の改革が不可欠だ。第3臨調を設置して本格的に議論を始めたらどうか。しかし、今回の参議選の助走を見ていると、そうした国家ビジョンの話は交わされる様相にない。よくマスコミについて、筆先がみな揃うと世論形成が危ないと言われるが、政治家の口先がみな揃うと国家が危ない。「改革なき政治」に未来はあるか。そうとは思えない。

一般国民はどう見ているか。財政再建も、新たな国づくりも、諦めに近い感覚なのか。そうあってはならない。民主主義で国を変えられるのは「有権者の1票」でしかない。

#参議院選の争点

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