2022年4月29日金曜日

矛盾を抱える府県制と東京の水がめ

 


夏に向け大都市の電力不足が懸念されている。節電の徹底など大停電にならない工夫が求められる。一方、今の段階ではあまり話題にならないが、大都市の「水」をめぐる問題もある。“水を治めるものは国を治める”と言われる。

最近、集中豪雨、ゲリラ豪雨に襲われ大変な被害が発生しているが、この「暴れ豪雨」の水を未だコントロールできていないのが現代科学の限界だ。被災地の惨状をみるにつけ、予報だけでなく、予防、阻止はできないものかといつも考えさせられる。

ハンドルを握らなくとも目的地に到達できる、絶対に衝突しないクルマの開発(自動運転車)に凌ぎを削る昨今だが、自然災害をコントロールできる技術開発にも凌ぎを削って欲しいと思うのは筆者だけだろうか。

ところで東京は40日雨が降らないと干上がるといわれる。水の供給の不安材料だ。あまり話題にならないが、極めて大切な役割を果たしている首都圏の小さな村の話を書こう。現地を訪れ、目からウロコだったから。明治時代、夏の日照りが続くと、人口の多い首都・東京市が一番困ったのは水瓶を持たないこと。日照りが続くといつも雨ごいをするなど天に祈るような日々だったとされる。

そこで当時の東京市は水の豊富な多摩川を東京市の水瓶とするため、明治26年に神奈川県の多摩川水系を含む多摩地域(現在の東京都の3多摩)を東京府に編入する荒業に出ている。そして手に入れた多摩川を大事にするため、明治36年(1903)から同45年(1912)まで東京市長を務めた尾崎行雄は、多摩川の水源地の保全・涵養に力を注いだ。明治4年の廃藩置県で47府県体制の原型ができるが、多摩川の源流は桧原村であったり奥多摩町であったり、その奥の丹波山村であったり小菅村であったりする。

東京府の奥多摩村(当時)、檜原村と山梨県の丹波山村、小菅村は多摩川の水源(源流)に位置するが、この村々は、廃藩置県の線引き(県境)によって東京府と山梨県の別々の府県に所属することになる。

行政上の統治の都合といえばそれまでだが、じつは150年経つ今、そのことが東京都民の水を供給しながら、丹波山村、小菅村は山梨県であり、県境が邪魔をし、道路、鉄道等のインフラ整備が不十分となり、過疎に苦しむ状況になっているのだ。

都民の飲む水の源流地でありながら、行政は山梨県に依存している。当該村民の生活圏、経済圏は東京都に依存しながら(進学、就職、買い物、医療など)、実際は別の県から行政サービスを受けるという仕組みだ。人口1000人未満の町村で議会を廃止するかどうかなどが話題になるが、こうした町村の多くが県境に位置し、県境の町村はどちらの県からみても外れ、遠い地域に位置し整備が遅れがちとなり、過疎が進む状況にある。

山梨県丹波山村は、山梨県の東北部に位置し、東は東京都奥多摩町、西は甲州市、南は小管村、北は埼玉県秩父市に接し、面積は約100の山村だ。多摩川の源流・丹波川が東西に流れ、東京都民の大切な水ガメでその水は奥多摩湖に注いでいる。雲取山、飛竜山、大菩薩嶺などの険しい山々に囲まれ、全体の97パーセントは山林だが、驚くことにそのうち約7割は東京都の水源涵養林として都が購入・管理しているのだ。事実上、この村は面積の7割は都有地ということになる。

しかし、行政サービスは山梨県から受け、様々な行政の仕組みは山梨県の一村として成り立っている。少し前、教え子が村長を務めていたこともあり、現地を訪れてみた。昭和35年ころ人口2200人余を数えたこの村は現在600人を割り込み存亡の危機にある。

訪れ村の幹部、議員らと話し合ったが、県境の悲哀、その悩みをいろいろ聞かされた。大事な役割は他府県に向けて果たし、行政サービスはその恩恵に浴さない県から受けざるを得ない、こうした矛盾を解消する方法はないかという相談だった。 

筆者は、ここはもう一度府県再編する。「廃県置州」を断行するしかないのではないかと考える。47都道府県を再編し大括りに10程度の州に内政の拠点するのだ。そうすることで救われ再生する小さな町村が各地に相当あるのではないか。道州制への移行は町村にとってマイナスだというキャンペーンをよく聞くが、私の診た限り話は逆のように思えてならない。広域化して再生できる町村が相当あるというのが筆者の実感だ。

#道州制 #小規模町村 #水不足

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