2022年2月14日月曜日

農業の見直し抜きに「地方創生」はありえない

熊本のアサリ、徳島のワカメが偽装販売の対象になっている。自給率が極端に低く、名前だけで中身は殆ど外国産とか。犯罪もここまで来たか。じつは偽装ではないが、農産物の自給率が極端に下がってきた。カロリーベースで4割を切った。その生々しい現実は。

田畑の作付けを放棄し放置されている耕作放棄地が滋賀県の面積に相当するほど増えている。そして後継者のいない現実が農村、農家の崩壊を招きつつある。

「農繁期は稲作農家にしろ、果樹農家にしろ、厳しいですよね。年齢的に第一線を退いてもいい年なのに、退きたくてしようがないのに後継者がみつからない。」(70歳女性)

「果樹農家だけでなく、水稲農家も同じで家に残っていた耕作者が亡くなると、更地になるところも出ています。無人の廃屋の手入れを地区で引き受けているものの、地区そのものの高齢化と増加する無人の家が増え、手に負えなくなっている。」(70歳男性)

こうつぶやくのは決して過疎地の農家での話ではない。恵まれた都市部周辺での話だ。残念ながら、このつぶやきが現実をよく表している。いま日本の農業は地域を問わず後継者難に苦しみ、深刻な高齢化に苦しんでいる。日本は世界第5位の農業大国と言われるが、しかし実際の農業者の占める割合は人口のたった1.6%。しかも、中身は65歳以上が6割を占め、農家の平均年齢はなんと70歳に近い。これら団塊の世代中心の構造からして、あと10年もすると農業の第一線からみな退いていこう。そうなるとどうなるか。ちなみに35歳未満の働き盛りとなると、農業者のたった5%に過ぎない。

こうした現実をどうするかだ。昔は就業人口の一番多いのは農業だった。しかし、いまは極端に減り、1975年に約790万人いた農業者は現在190万人まで減っており、かつ高齢化が進み若い後継者がいない。後継者がいないこと、ここが一番大きな問題だ。

農業用地も同じことで、ピーク時に約610万㌶だった農地は、現在約450万㌶まで減り(2016年)、耕作放棄地がどんどん増加しているのが現実だ。

じつは供給側もそうで、一般消費者の食用米の需要も大幅に減っている現実がある。いま日本人が必要とするコメの供給は水田全体の約6割で賄える状況とされ、米は供給量オーバーな状態にある。こうした需給構造のアンバランスは他の産業には見当たらない。

日本は土地が狭く、値段が高い。昭和36年スタートの農業基本法で構造改善事業のモデルにしたのはアメリカだったと思うが、しかし、トラクターが縦横無尽に走り回る1ha規模の田畑を作るのは幻想に過ぎなかった。しかも土地改良を施し規模の拡大した土地ほど、都市化の波に揉まれ、高速道や新幹線、工場用地、住宅地へと売り払われていった。

筆者の表現では「戦後農政は農家のためではなく、都市生活者のための住宅地提供の公共政策ではなかった」と。もちろん政府がそれを意図した訳ではなかろうが、結果として高度成長に伴う高地価化に押され、農地を住宅商品として扱う風土が生まれてしまった。

高齢化した農家では、「働き手がいない」ことを理由に、役所から声がかかると喜んで土地を手放す空気が生まれている。農地法が乱獲乱売を規制しているが実質は空文化が近い。

農業を知らない官僚が農政を担う、この悪弊を断ち切らなければならない。諸外国の例からしても、やはり農家への所得補償政策は必要ではないか。単なる競争原理だけで農業を見てはならない。食料安保の視点からも自給率向上は不可欠であり、それにカネが掛ることは覚悟すべきだ。「猫の目農政」で腰が定まらない日本だが、人口縮小期に入った中、農家ゼロの悪夢もありうる。そうなってはならない。

腰の定まった農業のあり方を国も、地方も、国民もしっかり議論すべき時だ。地方創生は農業のあり方を抜きには成り立たない。

#地方創生 #耕作放棄地 #後継者難

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整備前の遊休農地・耕作放棄地1

 

  

 

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